2015年06月25日
“下流老人”
最近、“下流老人”という造語を聞くようになった。
世相を表す造語としては、
“団塊世代”
“団塊ジュニア”
“社畜”
“負け組・勝ち組”
“ゆとり世代”
“後期高齢者” 等々
様々な言葉が、
マスコミを通じて盛んに拡散されてきた。
これらの造語の中でも、高齢の経済的弱者を表す“下流老人”は、かなり酷い。
人生の最後で、金銭的な側面だけで評価されて、
老人としての尊厳も何もなく、一方的に、“下流”と呼ばれるのである。
当然、“中流老人” や “上流老人”もいることになる。
老人というのは、本来、その経験、
知識、智慧、高潔さ、人格、人間としての精神的な完成度によって、
評価されるのだと思っていたが。。。。
そう言えば、厚労省が、
毎年、敬老の日に行っている100歳の誕生日を迎えた方々に対する
銀杯贈呈を止めることを検討している。
銀杯を贈る制度は、
100歳以上の人口が僅かに153人だった
1963年(昭和38年)に始まったようだ。

当初は、直径10.5センチあった銀杯であるが、
100歳以上の人口が4万人を超えた2009年には直径が9センチになった。
昨年の100歳以上の人口は、58,820人である。
(因みに、女性の割合が87%を超える)
今度は、財政難から、銀杯贈呈の制度そのものを廃止する。
かつては、お年寄りに対しては、
尊敬の念をもって、
『おじいちゃん、おばあちゃん、長生きしてね』
と言うように、親に教えられた。
《これからは、なんと子供たちに教えるのだろうか?》
いい言葉が見つからない。
所得もそれほど伸びずに、格差が広がる中で、
老後の不安を煽りすぎると、
働き盛りの若い世代は、
老後に備えて、更に、消費を抑える方向にいく。
しかし、大半の人々は、所得が伸びないので、少々、消費を抑えても、老後の蓄えにはならない。
消費も増えない、老後の貯蓄も増えないという悪循環に陥る。
経済学でいうところのライフサイクル仮説(恒常所得仮説)である。
人生に対する価値観や
経済の仕組みそのものを変えなければ、
経済の失速と財政破綻が同時に起こる可能性が高まる。
株価高騰に浮かれている今日この頃であるが、
一方で、何かモヤモヤとしたものを感じているのは
私だけだろうか?