2015年06月04日
《東京・日比谷という地名》
日比谷といえば、東京の代表的な地名の一つであり、都会的なイメージがある。
日比谷は、皇居の南東に接する地域である。
日比谷公園、日比谷公会堂などでは、
有名な催し物やドラマのロケも頻繁に行われている。
日比谷通りの向かい側には、帝国ホテルがあり、
西側の祝田通りを挟んだ一帯は、中央官庁街となっている。
ところで、日比谷周辺は、430年前に、徳川家康が、豊臣秀吉の命により、
駿府から関東に移封された時は、寂れた漁村であった。
綺麗に整備された日比谷公園を散策していて、漁村のイメージを思い起こすのは難しい。
家康の江戸開府前は、新橋辺りから日比谷公園、皇居の南側にかけて、遠浅の入り江であった。
現在の東京駅から有楽町駅にかけては陸地で、岬のように湾に突き出た格好をしていた。
日比谷という地名は、海苔の養殖などに使う竹や木でできた日比(ひび) に由来する。
遠浅の海が谷間に広がり、海面に養殖用の日比がたくさん突き出ている風景を見て、
日比谷の地名がついたと言われている。
現在の東京の標高図を見ると、確かに、東京駅から有楽町駅までは、少し小高くなっており、
浜離宮、新橋から日比谷公園一帯は、一段低くなっている。
そして、愛宕神社から武蔵野の丘陵地へ向けて徐々に迫り上がっている。
(東京 標高図: 地図の中心辺りに、皇居 (江戸城) の内堀が見える)
これから400年以上の年月を経た日比谷は、どのように姿を変えているのだろうか?
戦国時代の人々が、今の日比谷をイメージできなかったように、
現代の我々も25世紀の日比谷をイメージするのは難しい。
人間は、400年程の間に、科学技術や文明を発達させてきて、
少し賢くなってきたように思っているのだが。。。。
未来のことは、相変わらず分からない。。。。